サンバル
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絶賛ズリバイ中の娘クーピーから目が離せないサンバルでやんす。
今日は自分なりの娘クーピーの安全を思う気持ちと対応で反省することがあったので、その経緯と今の気持ち、そして子育てに関する自分なりの考えを書いてみたい。
「ダメ!」と遮る声と言葉に驚いたクーピー
ついこの間までは可愛いだけで目が離せなかったが、ズリバイ獣に進化した最近は危なっかしくて目が離せなくなってきている。
縦横無尽にズリまわり、掴む、引っ張る、口に入れるのオンパレード。だからついつい、
「それ、ダメ!」
と、大きな声で遮り捕獲しては定位置に回収するということを繰り返していた。
危険を避ける必要な措置だと思っていた。
が、
いつものように「ダメ!」と少し大きめの声で遮った時に、クーピーが「ビクッ」と明らかに驚いたような表情というか仕草をみせたんだよね。
その表情は「あ、これは何か悪いことなんだな」と理解したような表情ではなく、単純に自分の声の「張り」と「ダメ」という言葉に対して戸惑うというか、この世に産み落とされてから初めて「ネガティブ」な感情を湧き上がらせてしまったような、なんとも言いえない雰囲気を感じてしまったんだよね。
生後8ヵ月。言葉がわかるはずもない。でも何度か言われているうちに、「これはポジティブな話じゃねーな」って。出川イングリッシュと同じで言葉がわからなくてもなんとなく、善悪、良否、明暗、ってくらいの雰囲気は感じ取れるんじゃないかな。
で、なんだかこの時のクーピーの表情や仕草をみて、ちょっとショックというか、かわいそうなことしちゃったなぁって思ってしまったわけ。
その「ダメ」は本当に必要だったか?思い返すと自分都合で言っていたかもしれない
別に甘やかすつもりはない。遮ることは娘の安全上必要なことだと思っている。
ただ、彼女の何か「恐れたような」表情や仕草をみて、ハッとしたというか。本当に必要な「遮断」だったのかなぁって。
おそらく、ズリバイをし始めた当初の「ダメ」の発動基準と、慣れてきた最近の発動基準は明らかに違っていたと思う。
ズリバイ開始当初 → 本当に危ない時に「ダメ!」
慣れてきた最近 → 面倒なので「ダメ!」
って感じで、たぶん面倒くさいっていう気持ちが多分に入ってたように思う。
「あ、またあっち行ったら連れ戻すの面倒くせーな」
「立ち上がるの面倒くせーな」
「戸開けられるとクーラーの冷気ダダ漏れしてもったいねーな」
と、いつの間にか娘の危険回避の「ダメ」から、自分都合で面倒くささを回避するための「ダメ!」に変わってたんだと思う。
ダメと遮るのではなく、「こっちの水は甘いぞぉ」作戦で危険を回避
子供は可能性の塊だと思っている。
いろんな考えがあると思うけど、俺は出来るだけ制限をかけたくない。のはずなのに、最近自分都合でクーピーを制限していることがあったなぁとこの一件で気づき猛省中。
本当に危険なことは制限するけど、いうても数歩で網羅できる狭小長屋のうちではそんなに大きなリスクはない(はず。一応かなりの対策は取っている)
だから、階段に近づく、コンセント接触部分に指を入れるとか、よっぽど危険なこと以外は制限せずにもっと楽しいことをこっちから提示しようと思う。
だって嫌じゃない?
「それダメ」
「あれダメ」
「それ危ない」
「それやめて!」
「俺の肘吸わないで!」→いやこれは良い。歓迎。
なんて10ヵ月もお腹の中に縮こまってて、死ぬ思いで出てきて、ミルクか味の薄い離乳食しか飲めずに、やっとこさ動けると思った矢先に「DAME!」って制限されまくったらそりゃ萎えるわな(笑)
ということで、今は危険だなぁと思った時は、
「クーピー、こっちにもっと楽しいことがあるよ」
と、めちゃめちゃ笑顔&ハイトーンボイスで、なかばさかなクンの温度感を持って積極的に興味関心を惹く提案をするようにしている。
ポイントは、自分も赤ちゃんになること。
30代のほんのり加齢臭を纏ったおっさんが、100%赤ちゃんになりきる。Happy Babyポーズをしまくり、カーテンと本気で遊んだりする。大人から見ればイっちゃってるくらいが子供にはちょうど良い。
イかれたレベルで楽しもうとすると自分もなぜか楽しくなるし(わざと笑ってたら途中からマジで何が楽しいかわからないのに笑ってる。アニマル浜口の境地に達するというか)、そのウィルスは概念や先入観という免疫を持たない子供には簡単に感染する。
ガチでやることで興味関心を惹き、クーピーの危険を回避するという作戦を現在自分に課している。
ようは、危険回避を「制限する」というアプローチではなく、「こっちの水は甘いぞ」作戦で回避していこうってわけっす。
言葉はわからずとも3つ子の魂という深層心理にこびりつかせたいポジティブな感情
もう、常に笑わせていたい。
腹減った、眠い、オムツ気持ち悪い、加齢臭くさい、以外で泣かせたくないと思っている。
心や意識にブレーキをかけさせたくない。
だから毎日全力で笑かしにかかるし、たくさんの言葉を浴びせまくっている。
どうせ、あとあと善悪の区別や良否の判断基準は家庭内ではもちろん、学校や地域のおじちゃんおばちゃんからも学んでいくことだろう。
だから、言葉ではなく五感をフルに働かせて吸収している今(もしかしたら第六感もあるかもしれない)、良いこと悪いこと、危険なことは適度には教えつつも、とにかく楽しい空間、明るい雰囲気、そして愛で溺れさせたいと思っている。
まじでそう思ってる。
という、そんな感じの超うっとおしめの親父の戯言たらたらと(笑)
反省してるよって話。おしまい。
PS:もはや遊んでいるというよりは傷害事件の様相を呈している…(笑)
爪と握力のパワーアップ度合いが半端なく、マジで涙出るくらい痛い…
娘よ、これは遊びをこえてもう傷害だよ…(笑)