「腱鞘炎なんてガンよりましでしょ」いやいや痛いときは痛いと言わせてよ。

「腱鞘炎なんてガンよりましでしょ」いやいや痛いときは痛いと言わせてよ。
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さくら

東京の下町で娘クーピー、夫サンバルと3人で仲良く長屋で暮らす2年目ママ。おしゃれ大好きゆるミニマリスト。

先日、信じられないことに夫が腱鞘炎になった。

直接的な原因は定かではないが、おそらく娘を抱っこするのが大好きで、その娘が成長曲線上部の弧を描く大きめ女子(8.5kg/7ヶ月)だからではないか、と思う。

その痛みは、普段あまり感情を顔に出さない夫の顔が歪むくらいの激痛

すぐに整形外科に向かったのだがそこで医師から信じられない発言があった。

医師からの信じられない一言

診察やレントゲン撮影後、

「まぁ、単なる腱鞘炎でしょうね」

との診断。

これは、いい。

「まぁ」も「単なる」も許したる。

割とすぐイラっとしてしまうタイプの私は心の中で「なんだコイツ」と思いつつも(予兆は前半からあった)、何か深刻な怪我や病気の片鱗ではなくホッとしていた。

夫は私より穏やかなタイプなので、

「腱鞘炎ってこんなに痛いんですねぇ。びっくりしましたよ。」

とかなんとか医師と談笑し始めていたのだが・・その医者が次にこんな言葉を放ったのである。

「痛い痛いって言ったって、ガンよりはましでしょ(笑)」

え・・?

ここ、整形外科ですよね?

整形外科って、骨とか関節とかに違和感や故障がある人が堂々と通院していいところじゃないの?

そりゃ相対的に見たらガンよりはましだよ。ガンじゃなくてよかったよ。

でも私は、いくらなんでも冗談にしても、この発言は間違っていると思う。

痛みの訴えに天秤は必要ない

痛み

なぜなら、こと「痛み」に関してはその人を「相対的」に見てはいけないと思うからだ。

痛みの訴えを聞くとき、その人を全体像で捉える必要はないはずなのである。

例えばさ、

「腱鞘炎なんてガンよりはマシでしょ」という理屈が通ってしまうと、

骨折したって家族仲がいいんだからいいじゃない。

風邪引いたって稼ぎがいいんだからいいじゃない。

頭痛?最近彼氏出来たんでしょ?我慢しなよ。

更に言えば、

いじめられて自殺したい?何言ってんの、帰ったら暖かい家で家族が待ってるじゃない。

全ての「体や心の痛み」に対して、他の何かで相殺する考えがまかり通ってしまう。

これは非常に危険な考え方だと思う。

痛みは相殺できない。

痛みは、その他の足りているもので決して穴埋めすることができない感情(症状)だ。

そもそも「その他の足りているもの」や、「幸せ」や「痛み」の感じ方、全ての感情に基準は存在しないし価値観は目に見でみることが出来ない。人を取り巻く環境は統一されたポイント制ではない。

またシンプルに、痛みを何かと比べて相対的に評価したところで、当人のその痛みが和らぐわけではない。

もちろん、その痛みに少しの余裕があるとき、

「私は(この痛みを除けば)こんなものを持っていたんだ」

と気付き、心が楽になることもある。

でもそれは本人が感じることであって他人が判断するものでは絶対にない。

とにかく、痛い。心の、体のココが痛い。

人は、痛い部分を何かと比べず痛いと叫んでいいはずなのである。

そしてその訴えはその他の部分とは切り離して認められていいはずなのである。

自戒も込めて。

なぜこんなことを書いたかというと、実は自戒の意味もあったりする。

私もこの医者のように、人の痛みに対しその痛みだけを見ずに「でも他のことは足りてるんだからいいじゃないか」と、ともすると思ってしまうことがあるような気がするのだ(例えば綺麗な芸能人とかね)。

自分に置き換えたら、その痛みとそれ以外のことは全く関連がないと言い切れるのに。

親子
あまりの痛みに1週間ほど固定していた(右手)

人は人を相対的に評価したがる。

でもそれはやっぱり、時と場合によっては大きな間違いだ。

今回、夫の怪我を通し改めてそんなことを思った。

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